◆老子小話 VOL
728 (2014.10.25配信)
さびしさのうれしくも有秋の暮
(与謝蕪村)
秋も終わりに近づくと、寂しさを感じさせます。
夏の終わりから、虫の声とともに秋は忍び寄り、
秋晴れと台風で、収穫と破壊のアクセントをつけ、
黄葉と落葉とともに秋は暮れていきます。
秋の終わりの夕暮れは、その寂しさも募ります。
蕪村は、寂しいことはまた嬉しいことだと句に詠みます。
何故でしょうか?
寂しさを感じることができるから、
ちょっとした出会いで心が温まります。
ご無沙汰だった人から突然の電話をもらったとき。
路上の暗がりで子猫の声を聞いたとき。
姿は見えないけれど、目だけは光ってる。
空を見上げれば、月が雲間からのぞいている。
月の明かりで、地面には自分の影が寄り添っている。
周りが暗く静かなほど、心の感度が高まるようです。
そんな寂しさを与えてくれる秋の暮は、また嬉しくもある。
この句が載っていた蕪村俳句集(岩波文庫)には、西行の
「とふ人も思ひたえたる山里のさびしさなくば住みうからまし」
が注にありました。
山里の寂しさがなければ住みにくいと西行さんも感じています。
ひとの心は、周りの環境に影響を受けやすく、
心の感度を高めようとするならば、今いる環境から遠く離れ、
「秋の暮」状態を意識的に作り出す工夫が必要のようです。
有無相生