老子小話 VOL 725 (2014.10.04配信)

抑制こそが社会性の根本である。

 (藤井直敬、「つながる脳」)

 

脳科学の本を時々読みたくなります。

その理由は、ひとは脳で考えていますが、

脳が一番わからないのが脳のことだからです。

どこまで進展したのか時々興味が湧きます。

今回は、新進の脳科学者からお言葉を頂戴します。

自分より強いサルのそばにいるときは、

弱いサルを演じ、近くのえさを彼に譲り、

弱いサルのそばにいるときは、強いサルになり

当然のように近くのえさをわがものにする。

近くのえさを食べたいという欲望を抑えて

他者とのつながりを大切にするというのが、

社会性の始まりのようです。

サル社会ではごく自然にその抑制が働きますが、

人間社会では、抑制のための言い訳が必要となる。

強者に負けた経験から、今後は自己防衛しようという言い訳。

強者の子分となれば、あとで分け前があるかもという言い訳。

言い訳はいろいろありますが、脳の中でどのように抑制回路が

生まれてくるのかが興味のあるところです。

幼児をみていると、言葉がまだわからない段階では、

悪いことをして親に何回もしかられ、それが悪いことと知る。

しかられたことは繰り返さないと学ぶ心が社会性となる。

一般に、協調性が社会性と等価のように言われます。

しかし、抑制は協調性の土台のように思われます。

老荘のいう無私は、私を捨てるという抑制であり、

周りの他者へのつながりを生み、協調へと導く。

協調を意図せずに無私になるのが、社会性の根本のようです。

自分が強者だと思っていた者が、無私の者から何かを譲られたとき、

無私の尊厳を思い知らされ、本当の強者を知る。

御嶽山の突然の噴火は、自然の非情さを教えてくれました。

そんな非情な状況下でも無私を貫き、道を譲って命を落とされた方が

おられたと聞きます。

命を落とすほどの抑制は悲しいものですが、社会を支える力として

抑制の大切さを教えてくれた、藤井氏の言葉でした。

御嶽山の災害で亡くなられた方々に心より哀悼の意を表します。

 

有無相生

 

 

戻る