◆老子小話 VOL
724 (2014.09.27配信)
往者屈也。来者信也。
屈信相感而利生焉。
(周易、繋辞下伝)
往くとは屈するなり。
来るとは信ぶるなり。
屈信相い感じて、利生ず。
易は中国最古の哲学のようです。
自然はめまぐるしく変化するが、
必ず原点に復帰するという法則のもと、
変化を予測するのが易です。
易の結果の当たり外れは別にして、
その基本となる思想を老荘は受け継ぎます。
「往くというのは、永遠に去るのではなく、
一時的に身をかがめることである。
来るというのは永遠にここに居るのでなく、
一時的に身を伸ばすことである。
屈伸がバランスよく相まって利益が生ずる。」
仕事から遠ざかるのは、次の鋭気を養うために
一時身を潜めることであり、仕事に戻ることは、
養った鋭気を仕事で発現することである。
エネルギーの蓄積と発散がうまく繰り返されて、
仕事ははかどっていく。
「往く」を文字通り、あの世に往くと考えるなら、
人口がひとり減って、エネルギー消費の空きができる。
そこに新たな命が来ることで、その空きが活かされ、
未来の担い手が育まれる。
命の往来こそが地球環境のエネルギー・バランスを保ち、
それを示唆する易の思想はエコ哲学の原点となるでしょう。
有無相生