老子小話 VOL 708 (2014.06.07配信)

けふの日も棒ふり虫よ翌(あす)も又

 (一茶、「おらが春」)

 

一茶の「おらが春」より、肩の力が抜ける

お言葉を頂戴しました。

「棒ふり」は、蚊の幼虫ボウフラのことで、

「棒にふる」にかけたおやじギャグ的な

香りも漂います。

この句の前に、

「日々懈怠にして寸陰を惜しまず」

という前置きがあります。

普通なら、「寸暇を惜しんで」ですが、

一茶は、わずかな時間を惜しまず、

日々無駄に暮らすのが日常のようだと独り言をいう。

棒にふるかふらないかは、一日終わってみての

事なので、「明日も棒にふるかもしれない」

という覚悟で望めば、気が楽になる。

面白いのは、自分をボウフラにたとえている所で、

きわめて荘子的な世界に身を置きます。

ボウフラは汚い水たまりにすぐにわきます。

小さくても、いつか蚊として羽ばたこうと

水の中をもがいて必死に生きている。

汚い水たまりは現世であり、水たまりの外では

ボウフラは生きていけません。

棒にふることが生きていくことと同じになる。

この句のあとに、「無限欲、有限命」と続く。

限りない欲望と比べるから、無駄に過ごしたと思い、

明日の自分にプレッシャーを与える結果になる。

所詮自分は棒ふり虫と考えれば、肩の力が抜け、

見えなかったものが見えてくる。

心を水の外に置いて、水たまりでもがく自分を

見つめる余裕を一茶は詠んでいるようです。

 

有無相生

 

 

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