◆老子小話 VOL
706 (2014.05.24配信)
片手を満たして、憩いを得るのは、
両手を満たして、なお労苦するよりもよい。
(旧約聖書、「コヘレトの言葉」)
聖書の中で、老荘的な香りを感じるのが、
「コヘレトの言葉」です。
人間が才知を尽くして労苦するのは、仲間に対して、
競争心を燃やすからだという。
競争することで心はせきたてられ、負けないように策に苦労する。
競争により進歩を遂げる資本主義社会で生き残るには
この労苦は避けられません。
しかし、労苦の連続で生を終えるとしたら、
何のために生きているのかわかりません。
財力や権力や武力を身につけて敵無しになれたところで、
周りの人々や国々と平和と調和を保たなければ、
労苦は永遠に続きます。
そこで、老荘でも禅でも、「知足」という考えを提示します。
足るを知るということで、片手を満たして憩いを得ることです。
憩いとは、一休みすることで、おのれを振り返ることです。
周りの人やものの恩恵で足ることができたことを実感することです。
キリスト教なら神、老荘なら道あるいは天道の恩恵となります。
老子第九章には、「器を一杯にして持ち続けるのはやめた方がよい」という。
満たせば満たすほど、それを守るのに気が休まらないからです。
まさに、「コヘレトの言葉」に通じます。
最近の中国の領海侵犯には、今回の言葉を授けたいと思います。
両手を満たして余りある領土・領海を主張して、おのれの労苦のみならず、
周辺の労苦まであおるのは、もうやめにして欲しい限りです。
有無相生