老子小話 VOL 705 (2014.05.17配信)

どうやら人は切羽詰まったり、

方便のために嘘をつくだけでなく、

嘘をつくために嘘をつくと

いうこともあるようなのだ。

 (沢木耕太郎、「ポーカー・フェース」)

 

わたしの好きな作家、沢木耕太郎さんの

最近の文庫本(新潮文庫)から、お言葉をいただきました。

人はやむを得ず嘘をつきますが、

「嘘が嘘を呼び、嘘が快感になっていく」と氏は語り、

自分の場合を例に挙げる。

有名な作家の言葉をもじるために、作家の名前を改変する。

名前が違っていれば、実際に語っていない内容になっても、

作家の名誉に傷はつかない。

パロディだと気づく人は面白く読む。

名前の改変に気づかない人は、実際の作家が語った言葉として

受け取ってしまう。

芸術や芸能の世界では、嘘の嘘は本物の創作となる。

本物をまねた偽物が本物を超えると、本物として独立する。

一方、後を絶たない振込め詐欺は、本人を偽り、

本人の上司を偽り、本人のミスを親に信じさせ、送金させる。

嘘の上塗りで、親は本物と思ってしまう。

しかし、嘘の上塗りしても、パロディに気づき

親が送金すると嘘をつけば、事件は成立しない。

本では、嘘が嘘を呼んで作成された捏造記事の例が挙がる。

嘘みたいな本当の話と本当のような嘘の話との境界にある

話を創作するのは、だます方もだまされる方も面白いが、

その話を盗作するのは、両者にとって後味が悪いようだ。

だまされて面白い、奇術のような嘘が心を癒してくれる。

そんな嘘を考えるのも、和を保つのに必要かもしれない。

 

有無相生

 

 

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