老子小話 VOL 669 (2013.09.07配信)

風向きを気にすれば種は蒔けない。

雲行きを気にすれば刈り入れはできない。

(コヘレトの言葉)

 

聖書の中の「コヘレトの言葉」よりお届けします。

「コヘレトの言葉」は「伝道の書」とも呼ばれる。

ヘミングウェイの「日はまた昇る」もここから

借りています。

先週「八重の桜」を見ていて、山本覚馬も、

「伝道の書」の漢訳を読んでいて新島襄を驚かせたシーン

がありました。

生きる知恵のようなことがあちらこちらに

書かれていて、中でも好きな言葉がこれです。

結果がどう出るかわからないうちから思い悩まず、

準備だけは怠るなという。

せっかく準備しても、刈り取るタイミングを逸すると

収穫の喜びを分かち合うことができない。

準備していても、良い結果が約束されているわけはない。

「鳥が罠にかかったりするように

人間も突然不運に見舞われ、罠にかかる。」

何が起こっても動転しないように

神の裁きをじっと受け入れる覚悟があればよい。

覚悟は心の準備であり、心身の態勢である。

老子では、「天地不仁 以万物為芻狗」(第五章)という。

天地(道)には仁はなく、善人も悪人もわらの犬のように扱う。

わらの犬は祭りのときに飾る置物で、祭りが終われば燃やされる。

聖書の神の裁きは、道の芻狗の扱いに似ている。

厳粛であり、かつ荘厳な裁きである。

裁かれる身は犬のような存在だが、

「犬でも、生きていれば、死んだ獅子よりましだ。」

裁きの前に、どれだけ生を楽しむかが

人間に深みを与えてくれる。

 

有無相生

 

 

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