老子小話 VOL 668 (2013.08.31配信)

自分の外側に見ることができるものは、

自分の内側に感じ取ることができるものだ。

(長谷川櫂、「俳句の宇宙」)

 

「古池やかわず飛びこむ水のおと」

という芭蕉の句から始めて俳句の本質に迫る

長谷川氏の「俳句の宇宙」の「第七章宇宙について」

に見つけた言葉です。

外側に見る宇宙は、星の輝きであり、

太陽の動きが作り出す四季であり、

生き物の営みである。

内側に見る宇宙は、死ぬまで続く心臓の鼓動であり、

生命の歴史をすべて取り込んだ体内の遺伝子である。

芭蕉の句は、古い池にかえるが飛び込んだ音に

感動したのではない。

かえるが飛び込む音を聞いた芭蕉が、

外側の宇宙を感知し、内側の宇宙がそれに呼応したと考える。

弟子の其角は「山吹」を薦めるが、芭蕉は、「古池」を選択した。

芭蕉が感じた宇宙は精霊が漂う宇宙であり「造化」である。

「水のおと」が似合うのは「古池」と観た。

内側の宇宙とは、イマジネーションの世界であり、

かえるに同化した芭蕉が、一番癒されるのは、

今は廃墟と化し誰も見向きもしない「古池」である。

そこで自適の生を楽しむかえるを思い浮かべた。

まるで、荘子の「胡蝶」のように。

俳句の世界がここまで縦横無尽にひろがるとは、

この本を読むまで予想できなかった。

外の宇宙に対する関心や好奇心は、

自分の内なる宇宙の新たな発見を意味する。

なかなか読書というものは奥が深い。

 

有無相生

 

 

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