◆老子小話 VOL
665 (2013.08.10配信)
戦いに負け占領軍が入って来たので、
自由が束縛されたというのならわかるが、
逆に自由が保障されたのである。
なんという恥しいことだろう。
(高見順、「高見順日記」)
広島原爆記念日、長崎原爆記念日が終わり、
もうすぐ終戦記念日です。
ドナルド・キーン氏の「日本人の戦争」(文春文庫)で
日本の作家が戦争とどのように向き合ってきたか、
作家の日記を通して知る機会を得ました。
紹介された高見順氏の日記から今回の言葉をお届けします。
作家といえども一国民として、日本国の勝利を信じて
米軍の猛攻を日々凌いできた体験が綴られています。
戦時中は、欧米の植民地支配から大東亜圏を解放するという
大義を政府から聞きそれを信じた。
自由解放は日本の使命だった。
敗戦となり、占領軍の圧制を危惧していたところ、
自由を奪うどころか自由を保障してくれたのである。
なんと、国民の自由を奪ってきたのは自国の政府だったのである。
あらひとがみであった天皇は、日本国の象徴に変わり、
マッカーサーと握手する写真まで新聞メディアに載った。
日本国民が信じてきたことが一挙に化けの皮をはがされた。
国民は誘導されやすいものであり、誘導されて国家体制に組み込まれる。
どうしてそうなったのか当時は気づかず、あとになって恥ずかしく思う。
民主主義が国の運命を決めるとは、そういうことである。
体制に組み込まれてしまうと、もう抜け出せない。
誘導されないように、少数の意見に耳を傾け、自分の見識を磨く以外にない。
有無相生