老子小話 VOL 661 (2013.07.13配信)

私は私であって、

私でないものでもあるんだ。

(河合隼雄、「こころの最終講義」)

 

河合先生の最近の文庫本「こころの最終講義」

(新潮文庫)で見つけた言葉です。

「第5章アイデンティティの深化」は

普段何気に感じているものを分析してくれました。

「自分って何者?」と考えたことは

誰も経験があると思います。

現在では遺伝子検査をして、

乳がんリスクを回避するために

乳房を切除する時代になっています。

では、遺伝子レベルで自分を知ったからと言って、

自分がわかったことになるでしょうか?

生物学的なアイデンティティはわかりますが、

自分のこころを支えてきたものはわかりません。

自分のこころを支えるものがファンタジーであると

先生は指摘します。

ファンタジーは、自己実現の物語をイメージ化したものです。

しかも、ファンタジーは自己の死で途切れるのではなく、

死んだあとの世界までもイメージするので、死は恐怖の

対象ではなく自己実現の通過点として受容できます。

日常の行動は、自分の頭で判断して選択していくので、

私は私であって私以外のものでないと認識します。

しかし、壁にぶつかりどうしていいかわからない時、

無意識の底に沈んでいたファンタジーが自分を

支えてくれるといいます。

ファンタジーは、私を取り囲む私以外のすべてであり、

太古から現在まで繰り広げられてきた自然の営み

でもあります。

時間をそこまで広げなくても、日本人の祖先、

いや自分のおじいちゃんやおばあちゃんの

血と汗の結晶が今の自分を支えているわけです。

と考えると、アイデンティティ(私)は次世代に

継承されるもので、自分の生き方は未来に責任が

あるともいえます。

なかなか味わい深い言葉をいただきました。

 

有無相生

 

 

戻る