老子小話 VOL 654 (2013.05.25配信)

この水は流れ流れ、絶えず流れて、

しかも常にそこに存在し、終始同一であり、

しかも瞬間瞬間に新たであった。

(ヘルマン・ヘッセ、「シッダルータ」)

 

絶望の淵を彷徨っていたシッダルータが

川に身を投げようとしたとき、

川が教えてくれたことは、

「生きる意味」だった。

川の水は流れていくことには変わりはないが、

流れている一瞬一瞬は消して同じ水ではない。

川の流れは時間の流れにたとえられる。

時間に生きる我々は、川を見るとき、

そこに自分の人生を重ねてみることがある。

過去から今までどのように生きてきたかは

ひとそれぞれ異なるが、今という目の前の流れは

ひとと共有している。

「川にとっては現在だけが存在する」

流れの中に過去を見ても、それは今から見た過去である。

生まれてから一生が始まり、死までの限られた時間を

ひとは生きる。

流れる自分を見られるのは、今しかありえない。

「いつやるか?今でしょ!」がはやるのはわかるような気もする。

過去の成功や失敗にとらわれず、また未来の不安もあるけど、

トライするなら今しかない。

流れの外に身を置き、流れを傍観するか、

流れの中に身を置き、流れを共感するかで

結果は変わってくるのではないか?

「生きる意味」があるとするなら、

今を世界(自然)と共有することなのかもしれない。

 

有無相生

 

 

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