老子小話 VOL 651 (2013.05.03配信)

超然というのは手をこまねいて、

すべてを見過ごすことなのだ。

栄えるものも、滅びるものも。

(絲山秋子、「作家の超然」)

 

絲山秋子氏の「妻の超然」から選んでみた。

ちっぽけな人間界を宇宙の視点でながめる

老荘の立場に通じると感じたからである。

解説には、超然とは「部外者であること」という。

部外者になることですべてのしがらみから解放され、

自然界に繰り返される真理に気がつくからである。

「圧倒的にすべてを包む夕焼けは、

日没と同時ではなく、しばらくたってから

発生する。(中略)見知らぬ輝かしい運命が

生まれたかのように発生する。」

超新星爆発は、巨大な星の最期だが、

その最期の光はしばらくたってから人間の目に届く。

星の死は、新たな星の誕生につながっていく。

「おまえ」が見た夕焼けは、

宇宙のあちこちで繰り返される真理のひとこまになる。

自分を取り囲む人間界。

人間界を取り囲む青い地球。

そして、地球を取り囲む宇宙。

人間界のあつれきで生まれた悩みは、

自分を宇宙に拡張すれば、塵となって消える。

我慢というのは、自分の内に悩みを閉じ込めること。

超然と言うのは、宇宙の彼方に悩みを解き放つこと。

「文学は長い移動を終えて、

ついに星のように滅亡するだろう。」

しかし、滅亡とともに文学の光は、

超新星のごとく宇宙に解き放たれる。

そう考えると、文学の救いは捨てたものではない。

 

有無相生

 

 

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