老子小話 VOL 644 (2013.03.16配信)

自由になることなくして

真の美しさはない。

(柳宗悦、美の法門)

 

「春はあけぼの」と枕草子では、

山際が次第にしらんでいく明け方が

春の美しさ(趣き)という。

ひとはとかく美しいものと美しくないものと

この世のすべてを分けたがる。

そして、醜さを捨て美しさに走る。

誰もが美しくなろうと、ファッションを追い、

美容エステ、化粧品、ダイエットを追い求める。

まるで、美しさが得られないと醜くなるような

強迫観念さえ持っているようにみえる。

これは、美醜という二元の物差しに囚われ、

苦界に陥った状況である。

美醜の物差しはそもそもひとが作ったものである。

自然界には、美醜の区別はない。

いきものそれぞれが本性に合った形をとっているだけである。

これを自然法爾(じねんほうに)と呼ぶそうだ。

美醜の物差しから自由になったとき、

真の美しさが輝いてくる。

老子のいう、「素を見(あらわ)し 樸を抱く」(第十九章)姿が

美醜を超えた自由を表現していると思われる。

素材の本性を表わすだけで、すべては最初から美しいともいえる。

 

有無相生

 

 

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