◆老子小話 VOL
644 (2013.03.16配信)
自由になることなくして
真の美しさはない。
(柳宗悦、美の法門)
「春はあけぼの」と枕草子では、
山際が次第にしらんでいく明け方が
春の美しさ(趣き)という。
ひとはとかく美しいものと美しくないものと
この世のすべてを分けたがる。
そして、醜さを捨て美しさに走る。
誰もが美しくなろうと、ファッションを追い、
美容エステ、化粧品、ダイエットを追い求める。
まるで、美しさが得られないと醜くなるような
強迫観念さえ持っているようにみえる。
これは、美醜という二元の物差しに囚われ、
苦界に陥った状況である。
美醜の物差しはそもそもひとが作ったものである。
自然界には、美醜の区別はない。
いきものそれぞれが本性に合った形をとっているだけである。
これを自然法爾(じねんほうに)と呼ぶそうだ。
美醜の物差しから自由になったとき、
真の美しさが輝いてくる。
老子のいう、「素を見(あらわ)し 樸を抱く」(第十九章)姿が
美醜を超えた自由を表現していると思われる。
素材の本性を表わすだけで、すべては最初から美しいともいえる。
有無相生