◆老子小話 VOL
642 (2013.03.02配信)
うつろの心に眼が二つあいてゐる
(尾崎放哉)
春一番が吹いて、心もなぜか
春を迎える態勢になってきました。
性格的には問題があった放哉のようですが
なかなか面白い句を作ります。
穏やかな春の海を眺めている放哉は
ぼうっとしてきて心もうつろになったのでしょう。
では全く無心になったのかというと、
まだ周りが気になり、眼をきょろきょろとめぐらす。
本物の隠者になりきれない自分を
もうひとりの自分が外から眺めている。
もっと積極的に考えることもできます。
心は空っぽにしているが、
心の眼はしっかりと開かれて、
自然(仏)の教えを見逃さない。
白隠禅師の達磨図のように、
きっと眼を見開いて自身の仏心を捉える。
「直指人心、見性成仏」を
放哉は詠んだのかもしれません。
皆様はどのように解釈されますか?
有無相生