◆老子小話 VOL 612 (2012.08.04配信)

すべての人間というのは、

善人にせよ、悪人にせよ、

つまるところは、

良心の満足をえるために

必死になっているのすぎん。

(マーク・トウェイン、「人間とは何か」)

 

「ハックルベリー・フィン」の作者が書いた

青年と老人の対話からこの言葉を拾いました。

愛国心から兵隊に志願し戦場にいく人間は、

自己犠牲で行為をするわけではない。

「国のために命を捨てる」という、

自分の良心が満たされる場合もある。

あるいは、愛国心がないと周囲から思われる

ことが恥で、恥より死を選ぶ場合もある。

反対に、祖国が戦争をしていても、

家族を護るという良心を満たすために、

徴兵拒否を選択する人間もいる。

そういう人間を愛国心で非難することはできない。

国を上に置くか、家族を上に置くか、

良心はひとそれぞれだからである。

自分には愛国心などないが、

愛国心のない人間を家族に持つことで、

家族が非難されることに耐えられないために

戦場に行く者もいる。

家族を愛するが故に戦場に行く場合である。

自己犠牲という言葉はネガティブな感じが強いが、

それも心の満足(良心)を得るための選択であった。

金メダルのために4年間頑張ってきた人間がメダルを逃す。

自己犠牲が報われなかったというと暗くなるが、

同じ目標に向け自分も周囲も一体となり努力した4年間は

スポーツが自分を創るという良心にとって

有意義だったといえるのではないか。

 

有無相生

 

 

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