◆老子小話 VOL 589 (2012.02.25配信)

完成は

付加すべき何ものもなくなったときではなく、

除去すべき何ものもなくなったときに

達せられるように思われる。

(サン・テグジュペリ、「人間の大地」)

 

今回も「人間の大地」からお届けです。

機械は完成に近づくにつれて、

機械それ自身は目立たなくなってくるのが

常であるという。

コンピュータでいえば、デスクトップから、

クラウド型になり、携帯端末でデータを見る

流れと言える。

さらに進化して、人体に埋め込み式にすれば、

ICカードを沢山持たなくても、指をかざせば、

改札も通れ支払いも、一瞬に済ませられる。

こうなるとSFの世界に近づいてくる。

機械に限らず、女性の化粧でも、

いろいろ塗りたくるより、化粧していることが

わからない位自然なものが完成に近いと思われる。

老子第45章に「大成は欠けたるがごとし」という。

完成したものは、どこか欠けているように見える。

余計なものを極限までそぎ落としているので

こんな見え方で大丈夫だろうかと不安になる。

社会保障も、いろいろ手当てを増やすより、

教育は大学まで無料とか、医療費は無料とか、

生きるのに最低限の保障をメリハリのある制度で

実現してもらうとありがたい。

 

有無相生

 

 

戻る