◆老子小話 VOL 586 (2012.02.04配信)
知とは接わるなり。
知なる者は、其の知を以って
物に遇いて能くこれを貌す。
見るの如し。
(墨子、経説篇)
昨日が節分でしたので、今日は立春になります。
春というには寒いですが、春の足音が近づいて
いるようにも思えます。
今回は、墨子より知についての言葉です。
「認識は、事物と接触することである。
認識は、持ち前の知能で事物と接触し、
其の事物をそのままに写し取ることが
できることである。
ちょうど視覚で全体を見るように。」
今、畑村洋太郎氏の「みるわかる伝える」
(講談社文庫)を読んでおり、その内容と
符合するので取り上げてみました。
「知る」というのは、「わかる」ことで、
事物に直接接してみて初めて状況が把握できます。
畑村氏はそれを、「現地・現物・現人主義」と
呼びます。それを墨子は「接(まじ)わる」と言う。
よくわかる人は、自分の持っている知識
(テンプレートと氏は呼ぶ)を以って物に接触し
事物の要素・構造を分析し、事物を認識する。
テンプレートが合わなければ新たなものを構築する。
それが、事物が「わかる」ということである。
一方、墨子はそれを「貌(かたち)す」という。
つまり、事物を俯瞰した全体像をつかむこと。
一方向から見た姿ではなく、全体の姿をとらえる
のが貌です。
墨子さんは、「わかる」の何たるかを実践で
わかっていたのでしょうね。
有無相生