◆老子小話 VOL 560 (2011.08.06配信)

本当の狐は、自分の手のとどきかねる

葡萄の房だけを酸っぱいと称するのではない、

自分の手が届いて他のものから先に

ぶんどってしまったやつまでもやはり

そういうのだ。

(ニーチェ、漂泊者とその影)

 

「狐の中の狐」と題された意味深な言葉。

イソップの中の狐は、木の上のほうにあって

手が出ないブドウを、「どうせ酸っぱいから」

といって負け惜しみをいう狐です。

ニーチェは、本当の狐はそんな可愛い狐じゃなく

他人から奪ったブドウまでも「酸っぱかった」という。

他人から奪ったブドウは、食べたら甘かったのに、

「酸っぱい」と持っていた人に言うのが狐。

狐はずる賢いが、優しいところもある。

木の上のブドウは、とっても酸っぱいからと

いえば、欲しがっていた子供もあきらめる。

狐にだまされてブドウを奪われた人は、

それを食べた狐が「甘い」といったら

怒りが増すが、「酸っぱい」といったので、

まずいものを食べずに済んだと安堵する。

他人の心の怒りや欲望を和らげる狐には、

優しいところもある。

もう一つの見方は、やっぱり意地悪な狐。

甘いか酸っぱいか遠くから見通せるなら、

他人から奪う前に「酸っぱい」ブドウを

あきらめるべきという見方。

自分にとって都合のよい論理を振りかざす

ずる賢さが見えてくる。

 

有無相生

 

 

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