◆老子小話 VOL 554 (2011.06.25配信)

身幅で生きるということは、

身の内の自然にできるだけ沿いながら、

しかもそれを得心し続けていく

ということでしょう。

(色川武大、永日)

 

伊集院静氏のいうところの「いねむり先生」の

小説「永日」からお届けします。

息子の「僕」が、「父」の生き方を語る言葉です。

「身幅の中での得心を軸にしているので、

外側と容易に交信できません。

モノローグ専門ですね、父親も僕も。」

ひとは試練にぶちあたると玉ねぎの皮をむくように

内心がひと皮ずつむかれていくが、芯までむかれない。

最後の芯までむいて具体(決断と行動)まで行き着くのが

父で、内心を主張できずに絶句で終わるのが僕だという。

僕が父に名づけたのが、「トンマなピュリタン」。

そして、僕は「トンマで愚鈍なナルシスト」。

身幅より大きな「死」とぶつかったときに父はどう得心するのかと

僕は父の死を待ち望む。

でも何百歳になろうと、父は、「老いは不運、死は事故」の折り合い

しかつけていない。

いねむり先生のおやじさんは、まるで「道の体現者」です。

土壇場で内心をすっと具体できる「トンマなピュリタン」の

人生の凄さは、僕の宝となる。

小説「永日」は、「百」(新潮文庫)にあります。

 

有無相生

 

 

戻る