◆老子小話 VOL 550 (2011.05.28配信)
物思ふ膝の上で寝る猫
(山頭火)
梅雨に入りました。
じめじめした梅雨でなく、引き締まる梅雨です。
大学時代の友人が山頭火が好きで、
金子兜太氏の「放浪行乞」(集英社文庫)を買いました。
そのまま書棚に置いてあったのを読んでみました。
山頭火は放浪の俳人ですが、心の内面を句と彼の日記から
解き明かしていく本で非常に面白く読めました。
「寝ている猫の年とつてゐるかな」の句を
「老猫がむくむくと立ち上がり、ウハーと大きく欠伸する感じ」
を当たり前に言うところがよいと評しました。
私も、捨て猫を飼っていたことがあり、猫が膝にのる習性を
この句を見て思い出しました。
それも知らない間にのっている。
私を好いていてくれるのかと思うと、そうじゃなく、
猫自身にとって、実に心地よい場所を選んでいる。
唯我独尊の生き方に感心しました。
「物思ふ」は、物思う自分(ひと)でもよいし、物思う猫でもよい。
物思いに耽っていると、知らぬ間に膝にのっている。
ひとの体は動かず、あぐらをかく膝の谷間は絶好の保温ベッドとなる。
そうすると猫がひとの膝を借りて物思いに耽るように見える。
じっと眠る猫を見ると、物思いから覚めてもそのまま動かずにいる。
別に行乞(修行と乞食)をしなくても、この心境になれるが、
放浪の中で出会う生き物に対し仲間としての親愛の情が強くなる。
思い出の猫は、膝の上からふいと姿を消し、探した結果、
車に轢かれ路上で硬くなって見つかった。
これもまた唯我独尊の死に方である。
有無相生