◆老子小話 VOL 543 (2011.04.09配信)

偶然なるものに自分を賭けて

手探りにうろつき廻る罰当りだけが、

その賭けによって見ることのできた

自分だけの世界だ。

(坂口安吾、教祖の文学)

 

今日は生憎の雨で、花見は明日になりましょうか。

坂口安吾氏の「堕落論・日本文化私観」(岩波文庫)

からのお届けです。

小林秀雄氏をこき下ろす中で、安吾さんの人生観が

読めるので面白い。

「生きた人間を自分の文学から締め出した」小林さんは

「文学を鑑賞し詩人を鑑賞するだけ」という。

鑑賞者の鑑定書は全く信用できるものでなく、

「毒に当てられた奴、罰の当たった奴」が書くものが、

本当にひとの心を動かすという。

「文学は生きることだよ。見ることではないのだ。」

文学に限らず、ひとの心を打つのは、

尾崎豊の歌であり、岡本太郎やダリの絵であり、

西村賢太や中上健次の小説だったりします。

皆毒に当てられた方々のようです。

その作品の中で生きた人間がのたうち廻るからです。

偶然に賭ける分だけ、人生が開けます。

今回のように震災という偶然が起こったときに、

そこからどう生き方を変えていくかが賭けになります。

賭けをしないで鑑賞者になっていては、

人生という、自分だけの芸術は生まれません。

 

有無相生

 

 

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