◆老子小話 VOL 541 (2011.03.26配信)

すべての人間が、無意識の世界では

「快楽原則」に支配されているのですが、

日常生活の世界、意識の世界では、

「現実原則」に拘束されています。

(澁澤龍彦、快楽主義の哲学)

 

「快楽主義の哲学」(文春文庫)は、

老荘思想も快楽主義のひとつと

教えてくれ面白かったので、そこから

今回の言葉を拾いました。

幸福とは2つあって、ひとつは苦痛の回避、

もうひとつは快楽の追求です。

人間は苦痛の回避のため、文明を発展させましたが、

いくら発展してもちっとも幸せに感じない。

幸福が増えれば不幸も増えるからという。

今回の大震災で、電気、ガス、水道が途絶えれば、

生活が立ち行かなくなる。

携帯電話でいつでも人とつながれる幸せは、

回線が途絶えると、孤独の恐怖に変わる。

現代はあらゆる不幸に取り囲まれているので、

用心深く臆病になり守りの生き方になる。

買占め行動はその現れである。

「現実原則」は、快楽を求める本能を抑えて、

自己の存在維持を図る原則である。

一方「快楽原則」は、自然に湧き出る本能に従い

積極的な行動で、自由な生を確認する原則をいう。

老荘思想は、無欲で足るを知るを大切にし、

快楽原則の対極にいるように見えます。

しかし、競争によって、富を蓄え地位を築き、

継続的な安定を目指す「現実原則」を否定し、

人間の本能に従い自然との調和を求め、

自由な生を確認するという、老荘的生き方は、

「快楽原則」に近いと言えます。

無意識の世界にどのようにして近づくかの方法が

東洋と西洋で違っているだけのようです。

 

有無相生

 

 

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