◆老子小話 VOL 503 (2010.07.03配信)

恋は否応なしに自分を他人とかかわらせるが、

自分の背後にも他人の背後にも

人間を超えた自然が隠れている。

(谷川俊太郎、恋は大袈裟)

 

今回も、谷川さんのエッセイ集「ひとり暮らし」

(新潮文庫)から気にいった言葉を見つけました。

「どんなに洗練された恋愛心理の奥にも

荒々しい自然がひそんでいる」とも語られる。

誰も最初は、母親のからだの中にいた。

母親と一体になることで自然に溶け込めた。

やがて、母親は死すべき人間として立ちはだかり、

彼は母親に代わる存在を求める。

恋はもうひとつのからだ・心との出会いである。

からだは人間を超えた自然に属しているので、

恋は、人間の自然との戦いとなる。

「人間は、他者のからだ・心を媒介にして、

自らの死を超えて宇宙に恋することができる。」

谷川さんの文章を読んでいると、恋の奥に拡がる

宇宙の神秘に行き着く。

「大袈裟」という表現があてはまってしまう。

子孫を残すだけなら、誰とでも恋ができる。

人間が自然に従うなら、こういうシナリオになる。

しかし、心を具えた人間は、心を魅了した相手としか

恋ができない。相手の中の自然と自分の中の自然が

溶け合ったときに、恋していると直感する。

人間の中の自然は、宇宙に支配されているとするなら、

恋している相手は、宇宙ということになる。

人間は、宇宙を愛しながら宇宙に戦いを挑んでいる。

それが恋ならば、やはり大袈裟となる。

 

有無相生

 

 

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