◆老子小話 VOL 497 (2010.05.22配信)
道不属知、不属不知。
知是妄覚、不知是無記。
(無門関、十九 平常是道)
道は知にも属せず、不知にも属せず。
知は是れ妄覚、不知は是れ無記。
南泉和尚が趙州から、「道とはどんなものですか?」
と聞かれた。そのときの和尚の答えです。
「道というものは、知るとか知らないというレベルを
超えたものだ。知ったといっても、いい加減なものだし、
知ることができないといってしまえば、
何もないのと同じだ」(岩波文庫、西村恵信訳注より引用)
まさに、老子第一章の「道可道非常道」と同じです。
わかったといって名をつけるとそれは道ではなくなる。
わかりえないものを語るからである。
でもわからないからといって放っておけば、
道の素晴らしさに目をそむけることになる。
じゃあ、どうすればよいのだろうか?
四季折々の道の見え方に心を振るわせることである。
春有百花 秋有月
夏有涼風 冬有雪
自然は我々に宝物を与えてくれます。
色と光と香りと感触の変化を毎年同じ季節に。
有無相生