◆老子小話 VOL 487 (2010.03.13配信)
愛されたいという欲求は、
思いあがりの最大のものである。
(ニーチェ、人間的なあまりに人間的な)
一度は、他人から愛されたいと思うことがある。
付きあっている相手から愛されたいと思うのは
当たり前の感情である。
一国の首相なら、国民から愛されたいと思うのは
当然であろう。
でも、愛するのは他人であり、愛されるのは結果である。
自分が他人に与えた影響の結果、愛されるのである。
愛されるために行動するのではなく、
行動した結果、愛されるのである。
愛されたいという欲求は、高望みである。
愛されるか否かを考える前に、
自分が相手を愛して行動しているかを自問する。
自分の行動がたとえ相手のためになっても、
愛されない結果もありえるのである。
思い上がりは慎まねばならない。
「生じて有せず、為して恃まず、長じて宰せず」
(老子第51章)
有無相生