◆老子小話 VOL 468 (2009.10.31配信)

施恩者、内不見己、外不見人、

即斗粟可当萬鐘之恵。

(菜根譚)

 

恩を施すものは、

内に己を見ず、外に人を見ざれば、

即ち斗粟も万鐘の恵みに当たるべし。

 

ひとに恩恵を施す場合には、

施す自分を意識せず、

施す相手の感謝を意識しなければ、

どんな小さな恩恵も

莫大な恩恵に値する。

 

斗粟(とぞく)は、10升の粟(穀物)だそうで、

わずかな恵みという意味です。

粟は、今では健康食品で粟もちはとても美味しく、

10升(18リットル)もあれば、十分な恵みです。

昔はきっと安く、そんな量でも大した価値には

ならなかったのでしょう。

しかし、どんな価値でも恩恵を施すときは、

自分の自然な気持ちに従ってそれとなく行い

そのまま立ち去るのがよいと教えてくれます。

お金持ちは、寄付のあと、新聞に名前が載り、

財団や講座に自分の名前が付くことを喜びます。

しかし、それでは本当の恩恵ではない。

寄付や恵みの大きさに関わらず、誰にも分からずに

自然な気持ちを捧げることが本当に恩恵だという。

赤い羽根募金とかありますが、募金をしても、

羽をつけるのが恥ずかしい時があります。

きっと、心が「そっとしておいて欲しい」と

ささやいているのでしょう。

 

有無相生

 

 

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