◆老子小話 VOL 463 (2009.09.26配信)

海月澄無影

遊魚独自迷

(臨済)

 

海月澄んで影なく

遊魚独り自ずから迷う

 

禅林句集(岩波文庫)に載っていたもので、

自迷の面白さに惹かれ取り上げました。

海月は海上の月であり、

一点の曇りもなく澄んでいる。

月に照らされる海面を泳ぐ魚は、

光に導かれ、迷いようがないはずである。

でも、ひとりでに迷いの道に入ってしまう。

魚は、人間みたいに光を頼りに進むわけでは

ないので、どうもこの句では、

遊魚はひとの心を意味するようです。

遊魚を照らして看護る月。

月に看護られながら、思い惑う遊魚。

月を仏性にたとえれば、いつも仏性の光は

身近に届いているが、それに気付かないで

ひとの心は迷いの回遊を続けている。

そんなことを言い表しているようです。

海の中の海月はくらげです。

透き通ったからだを持ち、流れに身をまかせ漂う。

自然の流れに身をまかせているので、

どこに行こうか迷いません。

仏性を体現するとは、くらげになることなんですね。

海月と遊魚の対比は、現世を表す一幅の絵で、

深い意味を含むようです。

 

記:有無相生

 

 

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