◆老子小話 VOL 462 (2009.09.19配信)

世間でいう心が頑強になるということは、

本質的なことに対しサイキックナミング

(心理的感覚麻痺状態)になる

ということなのかもしれない。

(柳田邦男、犠牲)

 

次男の自死とその死の受け入れについて

柳田さんは、「犠牲(サクリファイス)」で語る。

余りにも恐ろしく悲惨な場面に遭遇すると、

心の眼をつむらないと気が狂いそうになる。

戦場で兵士が累々たる屍を見ても何も感じない

ように。 それをサイキックナミングという。

しかし、戦場に限らず、過労死が出るような

激務を与える職場もその例だろう。

激務を与える会社は、社員にその重圧に

耐え得る強靭な身体と精神を期待する。

社員は激務という戦場で戦う兵士となり、病んで

戦場から脱落する者に対し何も感じない。

サイキックナミングが、意識的な自己防衛か

無意識の反応かはわからない。

しかし、重圧にあえぐ者が自分の息子や恋人で

あったなら、そのままにしておかないはずである。

他人の死や苦しみをみたとき、第二人称の死や

苦しみとして捉える眼を持たないとこの世の中が

冷たい社会になってしまうと柳田さんは警告する。

柳田さんの死の捉え方を読んで、老子の

「死して亡びざるは命寿(なが)し」(第33章)

が浮かんだ。 死者の思い(命)を次の世代に

引き継ぐのが残された者の務めといっているようだ。

 

記:有無相生

 

 

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