◆老子小話 VOL 455 (2009.08.01配信)

寝ても見ゆ 寝でも見えけり

おほかたは うつせみの世ぞ

夢にはありける

 (古今集、きのとものり)

 

関東の方は早々と梅雨明けしましたが、

その後、曇り空のもとで蝉しぐれを聞いています。

うつせみ(空蝉)は蝉の抜け殻のことです。

蝉は、長い間地中に暮らしてからひと夏を鳴き

交尾相手を見つけ卵を産んで死んでいきます。

昔のひとは、せみの抜け殻を目に見える肉体と考え、

肉体に魂が宿る間、すなわち現世を、

「うつせみの世」と呼んでいました。

蝉が地上に出て死に至る僅かの期間を、

ひとの一生にたとえ、「死ぬために生きる」という

人生のはかなさ・淋しさを「うつせみ」に託しています。

「夢は寝てみるものですが、寝なくたってみえます。

なぜなら、この世のおおかたは夢でしょう。」

と上の歌は語ります。

この世のおおかたは夢とはいっても、

今度の選挙のマニュフェストは夢では困ります。

実現の策を明らかにせず、国民に明るい夢を

与えますだけでは、当選のための方便に終わります。

実施の時期を3年後とか5年後に先延ばしして、

「明るい老後」とか「持続的成長」とか抽象的目標では

実現できたのか不透明で、結局夢もの語りです。

また、経済成長を追えば、結果的に国民生活は

自然に豊かになるという前提にも疑問を感じます。

従来路線を踏襲しただけで、国民への富の分配の

仕掛けが欠けているからです。

現世を捨て来世に期待させるような政治では、

この国は終わります。

 

記:有無相生

 

 

戻る