◆老子小話 VOL 442 (2009.05.02配信)

狗不以善吠為良。

人不以善言為賢。

(荘子、徐無鬼篇)

 

狗(いぬ)は善く吠ゆるを以って良と為さず。

人は善く言うを以って賢と為さず。

 

善く吠える犬だからといって、

必ずしも良犬じゃない。

善くしゃべるからといって

必ずしも賢者じゃない。

 

表面的なものを見て判断しちゃいけないという。

善く吠えるのは、肝っ玉が小さく怖いから。

小型犬が吠えかかっても、ラブラドールは

悠然と構えている。

人間の世界も同じこと。

議論がうまくぺらぺらまくしたてても、

頭の中は賢いとは限らない。

頭の中が見透かされるのが怖いから

のべつ言葉を発しているかもしれない。

老子も言う。「大弁は訥なるがごとし」(45章)。

本当の雄弁は多くを語らない。

口の上手い人がとかく組織をリードしていくが、

いざというときは、言葉少なめの人が頼りになる。

しゃべる前に考え、しゃべる前に動いている。

連休突入で高速道路は渋滞中である。

時間をどう使えば身の肥やしになるかを

動く前に考えていれば、他の選択肢もあった。

自らの脚で動き、風と緑の香りの中で、

季節を知ることもできたのに。

 

記:有無相生

 

 

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