◆老子小話 VOL 435 (2009.03.14配信)

飢来喫飯

睡来合眼

(臨済録)

 

飢え来たれば飯を喫し

睡(ねむ)り来たれば目を合す

 

学生のときの早弁と居眠りとは違います。

偉い坊さんが修行中の弟子に言った言葉です。

お経(文字)をいくら読んで理解しても無駄である。

そこに仏を求めても仏などありゃしない。

「莫向文字中求」(文字の中において求むること莫れ)

身体がひとりでに求道するようになればよい。

腹が減れば、どんな飯でも美味しいし、

眠たくなれば、ひとりでに目を閉じる。

身体が自ずと仏性を体現できるようになればよい。

科学技術が進歩して便利な世の中になりましたが、

身体が本当に求める生活が送れているのでしょうか。

食べながら薬でやせようとし、

眠りたくなくても薬で眠ろうとする。

クローン牛・豚で、安くて美味しい肉を買わされる。

現代人は、文明の進歩に衝き動かされながら、

その身体は悲鳴を上げているようです。

高速割引がされるETC購入に殺到する。

ETC普及で、業界・官庁は景気高揚を目指す。

でも、土日休日くらいは、車を置いて歩くことを

身体は求めているかもしれません。

CO2排出は減るし、足腰が丈夫になるでしょう。

お役人は、道路を増やしETCゲートも増やし、

とにかく便利至上主義で、天下り団体を使って

税金を使うために仕事をしているようです。

 

記:有無相生

 

 

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