◆老子小話 VOL 380 (2008.02.23配信)
うつゝなき つまみごゝろの 胡蝶哉
(蕪村)
この頃は、日も長くなり、
だいぶ春らしくなってきた。
ぽかぽかしてくると、ついうとうとする。
そんなとき、「荘子」の「胡蝶の夢」を思い出す。
荘周は、夢の中で胡蝶になったのか、
胡蝶が自分になった夢が現実なのか思い惑う。
蕪村の句は、「つまみごころ」が面白い。
つまもうとする主体と、つままれる客体が
交錯する。
自分のこころを胡蝶とするなら、
その動きをとらえようとする自分は、
夢の中で胡蝶をつまもうとするようなもの。
仮にうまくつまめたとしても、
夢から覚めれば、胡蝶は消えている。
「こころ」をとらえようとする「こころ」は、
「うつゝなき つまみごゝろの 胡蝶」なんだなと
蕪村は詠んでいるようだ。
胡蝶がひらひらと飛び回るように、
「こころ」も浮遊し、とらえようもない。
自分の「こころ」ですらそうなのに、
他人の「こころ」はとらえられるはずがない。
このように、うつつ(現実)のひとの世界は、
まるで蝶が飛び交う世界である。
それをつまもうとする自分は夢の中にいる。
つよくつまもうとすると、蝶の羽は傷つく。
やさしくつまめても、指を離さねばならない。
蝶は栩栩然と飛び回るのが本性だからである。
記:有無相生