◆老子小話 VOL 371 (2007.12.22配信)

魚鳥の 心はしらず 年わすれ

(芭蕉)

 

忘年会シーズンである。

芭蕉一門の忘年会での一句であろうか。

荘子の秋水篇に、

「魚の心が本当にわかるのか?」

という問答が出ているのを思い出す。

荘子が、「魚が楽しそうに泳いでいる」というと、

友人の恵施が、

「魚でないものがなぜ魚の心がわかるのか」

と反論する。

自然と心身が一体になるとき、

自然からのメッセージを読み取ることができる

という、いわゆる同化(物化)の教えである。

同化により、差別する心は消え、

物事の本質が見えてくる。

同化の機会を得ようと旅を続ける芭蕉だが、

年末くらいは、魚鳥の心を忘れて、

仲間と忘年会をしたいと詠んだ。

今年も無事に送れたという素直な喜びを

分かち合えば、魚鳥の心を忘れたとしても、

それはそれで、大きな同化となっているようだ。

これが魚心、これが鳥心と心を分けずに、

人の心が融けあえば、いいじゃないの。

一息つけるほのぼのとする句じゃありませんか。

 

記:有無相生

 

 

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