◆老子小話 VOL 368 (2007.12.01配信)

渡驢渡馬。

 

驢を渡し、馬を渡す

 

鈴木大拙著「無心ということ」(角川文庫)の

第三講からの引用。

趙州和尚のところに来た坊さんが、

「有名な石橋を見に来たのに、あるのは

おんぼろの丸木橋(略杓)だけだった」と

ぼやいた。

それに対し和尚は答えた。

「お前は丸木橋しか見ていないから石橋が見えない。

石橋を見る眼があれば、石橋が見える。」

人間はいずれも自分だけの世界を見、喧嘩する。

坊さんは、「石橋とは何か」と聞き返し、和尚は答える。

「驢馬を渡し、馬を渡すのが石橋である。」

石橋は、何が通ろうが一向に平気でいる。

人間の主観とは関係なく、歴然とそこにある。

其の橋を危なっかしく見るか、頼もしく見るか、

それを見る人間の問題である。

無心となるとは、この石橋を見る一瞬をいうようだ。

大拙さんは、この一瞬(刹那)を「往生」という。

この世で極楽を見る。

普段何気なく見る風景に喜びを感じることがある。

通勤途上の木々が赤や黄に染まるのを見て、

「今年も無事に紅(黄)葉してくれてありがとう。」と思う。

寒暖の変化がある、お陰である。

地球温暖化が進めば、この束の間の極楽さえ望めなくなる。

今年もあとわずかで終わる。

無事に送れたことを感謝したい。

 

記:有無相生

 

 

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