◆老子小話 VOL 354 (2007.8.25配信)

善閉無関鍵而不可開。

(老子、第二十七章)

 

善く閉ざすものは、関鍵無くして

而(しか)も、開くべからず。

 

最善の戸締りは、鍵をかけなくても、

開けることのできないものである。

 

普通、門には鍵がかかっている。

他人が、勝手に門をくぐって

中にはいらないようにするためである。

それを鍵無しでやるのが最良のセキュリティという。

ネットでは、ファイアウォールといって

門や塀に火まで放つようだ。

そもそも、門を置くのは、内に富や情報を蓄え、

外との境界を設けるためである。

しかも、富や情報を独り占めしようとするから、

よそ者の侵入を防ぐため、鍵をつける。

富や情報は、世の中を循環することで

役目を果たすのではないかと老子は語る。

たまたま自分に巡ってきたものを、自分のものと

勘違いする。 いつ盗まれるか気が気でない。

鍵をつけすぎて、どれがどの鍵だかわからなくなる。

そんなことに心身を削るより、鍵をはずして、

皆に利用してもらうことで、世の中の役に立つ方が

本来の役目を果たせるのである。

鍵も門もなければ、「開ける」感覚が消える。

あの世に、財は持っていけない。

この世は、皆の努力で成り立っている。

とすれば、財は、その努力を導くために使えばよいと

考える。

 

記:有無相生

 

 

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