◆老子小話 VOL 352 (2007.8.11配信)

埏埴以為器。

当其無有器之用。

(老子、第十一章)

 

埴を埏(う)って以って器を為(つく)る。

其の無に当たりて、器の用あり。

 

粘土をこねて、器を作る。

器は、其の中が空っぽであるから、

其の役目を果たせる。

 

人の度量のことを「器」というが、

中に入っている才能や地位のことでなく、

何でも受け入れる「心の大きさ」をいう。

才能や地位は、器の外側に過ぎない。

人の外側を見て、人を判断してはならない。

社保庁のお役人も大臣も、不祥事の責任を取らない。

取り締まる法律が無ければ、何をしてもよいと考える。

器の外面は大きくても、容量は小さく、狭小な心しかない。

量子論では、粒子の励起は、エネルギー準位間の

遷移で語られる。遷移する先のエネルギー準位は、

空の準位(Empty State)でなければならない。

心の高揚も一種の励起状態であるから、

刺激を受けて、上の準位にジャンプさせるために、

心を空の準位(Empty State)に保つ必要がある。

いかなる微かな変化をも、感じとれるように。

一方、才能や地位によって、心が占有準位

(Occupied State)で満たされると、遷移できず、

刺激への反応がままならなくなる。

人間、中身を詰めることが、生きる目的ではない。

微かな自然の刺激に対して、軽やかに自由に、

心を励起できるかが、「生きる」であろう。

 

記:有無相生

 

 

戻る