◆老子小話 VOL 351 (2007.8.04配信)
化声之相待、若其不相待。
(荘子、斉物論篇)
化声の相待つは、その相待たざるが若し。
「化声」とは、変化を繰り返す是非の議論のこと。
変化を繰り返すのは、相対的な基準によるからである。
このような是非の議論に期待するのは、
最初から期待しないのと同じことである。
荘子は、この是非の対立を調和できるのは、
「天倪」(てんげい)という。
「天倪」とは、人知による区別でなく、
自然のままある区別を斉しく受け入れる
万物斉同の立場をいう。
人間はアメーバやバクテリアを下等動物と呼ぶが、
下等動物のおかげで、地球の生態系は保たれる。
人間は、高等な頭脳を持つために戦争や競争を続け、
差別・格差・貧困にあえいでいる。
何が高等で、何が下等かという議論は無意味となる。
自然界に生きる生きものの本分を考えるなら、
与えられた環境の中で、互いに助け合いながら、
種の保存を図ることだろう。
参院選では、自民党が大敗した。
安倍さんの、「改革か逆行か」の声は虚しかった。
改革のひずみが格差を生み、年金制度が揺らぐ今、
改革の是正を忘れたその声は「化声」であった。
国民が斉しく、日本文化に誇りを持ち、
国への信頼を基に、安心して働き暮らす社会
が、「天倪」の意味する国家であると思われる。
安心して暮らせなければ、少子に向かい、
国への信頼と誇りを失えば、国を守る意識も消える。
弱者切捨てのつけは、国家存亡の危機を招く。
記:有無相生