◆老子小話 VOL 313 (2006.11.11配信)
うきふしや 竹の子となる 人の果
<芭蕉、嵯峨日記>
うきふしは、「憂き節」でつらく悲しいこと。
ふしは竹の縁語である。
高倉天皇の寵愛を受けた小督(こごう)の
局の墓が竹やぶの中に埋もれ、
今となっては竹の子に生まれ変わっている。
嵯峨日記の中で、芭蕉は小督の人生に
思いを馳せる。
どんなに高貴な生活を送った人でも、
死んでしまえば、「藪中の塵あくた」となる。
これを老荘的に解釈すると、
立派に竹の子となって再生するのは
自然の理にかない、めでたいではないか、
となる。
芭蕉自身だって、虚しさをポジティブに
感じているはず。
竹の子には、「生の強さ」が含まれる。
人の一生は、悠久の自然の流れの内の
一瞬に過ぎず、「竹の子」は、その流れに
とり込まれたことを示す象徴のようである。
記:有無相生