◆老子小話 VOL 305 (2006.9.16配信)

山ふかく

さこそ心はかよふとも

すまであはれは

知らんものかは

<西行>

 

山深いところに

心を通わせることはできても

実際にそこに住んで心を虚しくしないと

「あわれ」を知ることはできない。

 

この夏、熊野詣をして以来

日本文化の由来に興味を持ち、

西行さんのことを読んでみたくなった。

心を虚しくし、深山にいるように瞑想しても

所詮頭の中のこと。

体をそこに置きそこを取り巻く自然と

一体にならないと、本当の「あはれ」を

実感できない。

そこで感じる「あはれ」とは、四季折々の

自然の変化とそれを膚で感じる自分が

そこにいることで感じられる「あはれ」を

意味する。

変化する自然と、それを観る自分の

心の変化が、「あはれ」を形作る。

西行も芭蕉も、死を覚悟し

旅をした理由がわかる。

 

記:有無相生

 

 

戻る