◆老子小話 VOL 272 (2006.1.28配信)
をのづからあひあふときもわかれても
ひとりはをなじひとりなりけり
<一遍聖絵>
偶然に出会って、そして別れることになっても、
変わらないのは、一人の自分がここにいて
別の一人との出会い(縁)を待つことである。
一遍という鎌倉時代に生きた僧の言葉。
全国を回って教えを説いた様子を描いた
「聖絵」第七から抜粋しました。
人生における「出会い」は、一人と別の一人が
縁という糸に曳かれて、引き合わされているという。
まるで、川面に泡が生まれて、泡同士がくっつき
また離れ、いずれ消えていくといった様子に似ている。
しかし、泡の動きがどれも同じかというと、そうではない。
誰とも置き換えのきかない自分という泡が、
縁に曳かれて邂逅を繰り返すという独自の軌跡である。
そんな時、身に背負うものが多すぎると、
出会いの幅が減ってくる。
縁とはへりであり、Edge(エッジ、端)である。
縁という糸が、人生の端を繋げ、道を拡げていく。
On the Edgeという会社があったようだが、
背負うものが多すぎて道を過った。
一遍和尚の言葉に習って、
縁を大切にすれば、回生の扉が開かれるだろう。
記:有無相生