◆老子小話 VOL
1280(2025.06.07)
鉄は鉄をもって研磨する。
人はその友によって研磨される。
(旧約聖書、箴言)
今回の言葉は、旧約聖書の箴言よりいただきます。
なかなか考えさせる言葉です。
研磨するとは、磨くことです。
同じ硬さの材料を用いないと研磨できません。
柔らかければ、そもそも表面のでこぼこを削れません。
硬すぎても、磨くどころか反対に傷をつけてしまいます。
一番硬いダイヤモンドを磨くときも、ダイヤモンドの粉を使います。
人間もひとりだけでは成長はできません。
同じレベルの人に出会い、心を通わせることで少しずつ成長していきます。
同じレベルというのは、知的レベルであったり、同じ境遇であったり、同じ感性であったりします。
相手のレベルが高すぎると、何を言っているのかわからなかったりして、自分に劣等感が生まれてしまいます。
反対に相手のレベルが低すぎると、相手に劣等感を持たれる心配が出てきます。
聖書の、「鉄は鉄をもって研磨する」とはそこらへんをうまく表現している。
自分も相手も同じレベルですから、交わることで自分だけでなく相手も成長していく。
切磋琢磨という言葉がぴったり当てはまります。
聖書の「友」は、友人だけに留まりません。
夫婦もまた、相手によって互いに成長し続ける可能性がある。
学問の世界でも、学ぶ時は師も弟子も同じレベルで議論を交わすのが当たり前です。
論語でも孔子は似たようなことを言っている。
また「友」は人間でなくてもよく、書物でもよいと思います。
友としての言葉を囁きかける書物に出会えば、それによって磨かれていく。
どれだけ多くの友にめぐり合えたかで、自分の世界の幅は決まります。
聖書の鉄のたとえは心に留めてよい言葉ではないでしょうか。
有無相生