◆老子小話 VOL
1278(2025.05.24)
天地有大美而不言。
四時有明法而不議。
萬物有成理而不説。
(荘子、知北遊篇第二十二)
天地は大美あれども而も言わず。
四時は明法あれども而も議せず。
萬物は成理あれども而も説かず。
今回の言葉は、荘子よりいただきます。
詩のように道の本質を語ります。
「天地は万物を育てるというすぐれた働きを有するが何も語らない。
春夏秋冬の四時は明らかな法則を有するが論じることはない。
万物は完成した理法を有するが説明はしない。」
天地自然の世界にはおのずと美と調和が備わっているが余計な説明は加えない。
自然科学は、人間のささやかな知能で自然の神秘を解き明かそうとするが、神秘は無限に広がっていく。
人間は自分のなかにも神秘を抱える。
自分の心がどこにあるかもわからない。
心が脳にあるらしいことを感じても、自分という存在は脳だけでなくからだ全体で感じる。
夢は心で見ているのか身体で見ているのかもわからない。
熱でうなされているときの夢は身体で見ているように思える。
大江健三郎氏が子どものころに書いた詩に、
「雨のしずくに
景色が映っている
しずくのなかに
別の世界がある」
があります。
雨のしずくが自分の目のレンズとなって、現実の世界を心の世界に投影するのが文学だといっているようです。
文学は自然の神秘をそのまま受け取り、心の神秘に変換していくところに妙味があるともいえます。
語らない自然は過去から未来に向かって脈々と同じ運動を繰り返します。
自然科学者はその神秘から運動の法則を見いだし、文学者は運動の神秘を心がどう捉えるかを言葉で表現します。
たびたび紹介している蕪村や芭蕉の17文字にそれを見ることができます。
自然科学者と文学者に共通しているのは、自然からの微かな声を聞き逃さない観察力を持っている点です。
そのいずれにも属さないわれわれ凡人でも、自然の神秘を感じ取る感性は持ち続けていたいと思います。
有無相生