老子小話 VOL 1277(2025.05.17)

雖與我同條生。不與我同條死。

(碧厳録、五十一則)

 

我と同条に生ずと雖も、我と同条に死せず。

 

今回の言葉は、碧厳録よりいただきます。

たまたま「禅林句集」で見かけました。

同条とは同じ枝という意味です。

同じ師匠のもとで修行を積んだとしても、いろいろな経験を重ねた結果、同じ悟りには至らないという意味で使われます。

イメージ的には、樹が生長していく過程で、同じ根っこを持っていたとしても枝分かれして同じところに行き着かない。

先人の知恵を受け継いだとしても、そのまま継承していては、その知恵を生かしたことにはならない。

自分の生長の過程で発見したことを知恵に加えていくことで独自の道を歩んでいく。

それこそが先人の知恵を生かしたことになる。

芭蕉がいう、不易流行の道につながる教えだと思います。

この言葉をそのままに受け取っても、意味は通じます。

同じ親から生まれたとしても、死ぬ時は別々の場所で死ぬ。

確かに親の遺伝子は受け継ぐかも知れないが、生きていく過程でいろいろな人の影響を受けながら新たなものを吸収していく。

たとえ一卵性双生児であっても、環境が異なれば人格は異なっていく。

これは国の関係でも同じです。

ウクライナとロシアは、キエフ大公国という同じ根から生まれ、それぞれの枝に分かれていきました。

今プーチン率いるロシアがウクライナを侵略する理由は、時間を逆行してもとの関係に戻そうというものです。

しかし両国とも、それぞれの歴史を背負いながら、独自の道を歩んできたわけです。

同じ祖先を持っているにしても、今は別々の国家として生長を遂げている。

それを武力で国家主権を侵すのはどう考えてもおかしい。

停戦交渉の話が進行中ですが、プーチンは侵略の意思を変えていない。

今回の言葉で、「我と同条に死せず」は重い言葉です。

そこには、独自の道を歩んだ相手への尊敬の気持ちが含まれているようです。

互いに異なっていることが、生きた証とも言えます。

そこには異なる経験がベースにあり、そこへの尊敬が両者の関係を深めるように思われます。

停戦交渉の進展を祈ります。

 

有無相生

 

 

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