◆老子小話 VOL
1273(2025.04.19)
萬物作焉而不辞、生而不有、為而不恃。
功成而弗居。夫唯弗居、是以不去。
(老子、第二章)
万物ここに作(おこ)るも而も辞(ことば)せず、
生じるも而も有とせず、為すも而も恃まず。
功成るも而も居らず。夫れ唯だ居らず、是を以って去らず。
今回の言葉は、老子よりいただきます。
道に随った人間の姿が描かれています。
「万物が活発に動いても説明を加えない。
ものを生み出しても自分のものとせず、大きな仕事をしてもそれに頼ることとしない。
成果をあげてもその栄光に居座らない。
居座らないから、栄光から離れることもない。」
道は自然の神秘です。
心臓は命令されることなく動き続け、全身に血を送り生命を支える。
自分の身体が支障なく動くのも、この道のはたらきのお蔭です。
この心臓を与えてくれたのは自分の親であり、その親を産んだのはその親です。
道に随う親は子どもに対し、その恩恵を言葉にはしない。
ましてや自分の所有物とは考えない。
子どもがりっぱに成長しても、自慢したりしない。
そういう親の姿を見て、子もそれにならおうとする。
論語では孝といって、子が親に尽くすことが尊ばれる。
しかし、孝は外から与えられるものではなく、自然に生まれるものと老子は考える。
老子第十八章で、「大道廃(すた)れて、仁義有り。」と語られます。
自然に随うことをやめるから、ことさら仁義とか孝行という道徳が叫ばれる。
子どもはきっちり親のうしろ姿を見ています。
社会で言えば、若い世代は上の世代のしてきたことを必ず見ています。
原発事故を起こして除染に四苦八苦する姿を見ています。
原子力発電は廃棄物処理というつけを未来に残し、現在の電力需要に応える技術です。
赤字国債もまた、返済の可能性もないまま未来につけを残し、現在の財政に応える手段となっています。
誰もが悪いと知りつつ、ずるずると先延ばしになっています。
そこにメスを入れるのは、やはり自然災害だと思います。
福島の原発事故も、東北大震災がはなった、原発神話に対する警告です。
南海トラフ大地震が起きたときの財政上のインパクトは計り知れません。
赤字国債という重荷を背負ったまま、結局は国民の資産に手をつけることになるでしょう。
われわれ自身の体のように黙々と生命を支える自然の仕組みは、ときとして無慈悲にわれわれの目論見を覆す結果をもたらします。
しかしそのすべてが人生のターニングポイントになる覚悟はしておいたほうがよいと思われます。
有無相生