◆老子小話 VOL
1268(2025.03.15)
聖人之生也天行、其死也物化。
静而與陰同徳、動而與陽同波。
不為福先、不為禍始。
(荘子、刻意篇第十五)
聖人の生くるや天行し、其の死するや物化す。
静かなれば陰と徳を同じくし、動けば陽と波を同じくす。
福の先とならず、禍の始めとならず。
今回の言葉は、荘子よりいただきます。
聖人の生き方を述べたものですが、人間の理想像と考えてください。
「聖人は、生きているときは自然のままに振る舞い、死ぬときは万物変化の理のままに従う。
静かにしているときは地の陰気とあり方を同じくし、動いているときは天の陽気と流れを同じくする。
福の原因となることを行わず、禍の原因となることを行わない。」
タオの生命観がすべて表現されています。
生きているときは天地自然の流れに逆らわず、死ぬときは生滅変化の理を受け入れる。
静のときも動のときも、気の流れに従う。それが天地自然の流れに従うこと。
気功の原理に従って生きるともいえます。
気功は、天地自然の中の気の流れに身をまかせるように心身を鍛錬する方法です。
最後の言葉「福の先とならず、禍の始めとならず。」が、気の流れに従うことの効果です。
外からやってくる福や禍によって、気の流れを乱されないようにすれば、平常心が保たれる。
そうすれば結果として長寿の道が開けるというものです。
確かにご長寿の方を見ていますと、天真爛漫といいますか、何かに制約されているのではなく、明るく思い通りに生きられています。
気の流れに従って、ごく自然体に伸び伸びとされている。
かといって、苦労が無かったわけではない。
禍福の波に気の流れを乱されなかったように思えます。
荘子のいう聖人も、そんな人間のように思えます。
荘子が生きた時代にも、長寿のお手本のような人間がいたことがわかります。
彼らの生き方を観察した結果が、上の言葉に集約されていると想像できませんか。
有無相生