◆老子小話 VOL
1267(2025.03.08)
何の木の花とは知らず匂ひかな
(芭蕉)
今回の言葉は、芭蕉の句よりいただきます。
春が近づくとどこからともなく花の香りが漂います。
芭蕉が伊勢神宮を参拝したとき、何の木かわからないが、花の香りが漂ってきたのを感じ、この句を詠みました。
神聖な場所には、神聖な香りが漂うということでしょうか。
季節によっていろいろな花が咲き、花それぞれの香りによって季節を感じる。
花の名前はわからずとも、匂いで季節を感じる。
梅の香りは早春を感じさせ、金木犀の香りは秋を感じさせます。
そういった自然がわれわれに与える恩恵を次の和歌に詠んだのが西行です。
「何事のおはしますとは知らねどもかたじけなさに涙こぼるる」
自分がこうして無事に生きていられるのも、自然の中に宿る神々のお蔭と思い、涙がこぼれる。
どこにどういう神が宿っているかはわからないが、その恵みを今こうして身体で感じられることに感謝する。
伊勢神宮を参拝したときの西行の心を、芭蕉も花の香りからたどったようです。
人間の心というのは不思議なもので、光だったり、音だったり、香りだったり、五感を通して自然に宿る神を感じるようです。
病が自然に治るのも、自分の内にいる神のお蔭と感じることもあります。
西行の心を感じるのは今に生きるわれわれも同じです。
木々に囲まれた参道を歩いていると、身も心も引き締まり、そこに宿る神々を思い浮かべる。
春に向かう天気そのものも、緩やかに暖かくなるのではなく、寒い日と暖かい日を繰り返しながら、波のように移ろっていく。
そのような波状の変化を自然の恵みと考えることもできるかもしれません。
西行、芭蕉という先人の作品を通して、身の回りの自然の恵みを感じる機会を得ました。
有無相生