老子小話 VOL 1266(2025.03.01)

笑っていても心の痛むことがあり

喜びが悲しみに終ることもある。

(旧約聖書、箴言)

 

今回の言葉は、旧約聖書の箴言よりいただきます。

笑っているように見えても、心に痛みを抱えているひともいる。

また、喜んでいたのに悲しみに終わることもある。

当然のことながら、その逆のこともある。

悲しみのうちに喜びを見いだすこともあれば、痛みの中に笑いを生むこともある。

いずれの場合も、今の感情を深く見つめる自分がいることです。

笑いがあってもそのおおもとには心の痛みがある。

災害や戦闘から生還できたことを喜んで笑みがこぼれても、その陰で命を失った仲間や肉親のことを思うと心が痛む。

信仰者であれば、神との対話があり今の自分が神の加護のもとにあることを自覚する。

いっときの感情で一喜一憂することは慎む。

別に信仰を持たなくても、日常生活の中でそういうことはおぼろげに感じます。

イソップ童話に、肉を加えた犬の話が出てきます。

肉を加えた犬が橋を渡るとき、水面に映った自分の姿を見ます。

水面上の犬の方が自分より大きい肉を持っていると思い、わんと吠え肉を落としてしまう。

この話を聞いて笑っていても、同じことを自分もやっていないかと不安になる。

他人がやっていることはよく見えるが自分のことはよく見えません。

そんな自分の姿を見せ付けるのがイソップ童話のようです。

箴言が教えるのは、やはり明日のことはわからないということです。

この言葉の前に、「人間の前途はまっすぐなようでも 果ては死への道となることがある。」という言葉がある。

「人間万事塞翁が馬」的な意味合いです。

明日の命は神のみぞ知る。

今の境遇のみを見て、喜んだり悲しんだりする愚かさを指摘しています。

物事の一面だけを見て反応するのではなく、両面を常に考えて慎重に対応する以外にありません。

難しいことですが、一番賢い道なのでしょう。

 

有無相生

 

 

戻る