◆老子小話 VOL
1263(2025.02.08)
故有之以爲利、無之以爲用。
(老子、第十一章)
故に有の以って利を為すは、無の以って用を為せばなり。
今回の言葉は老子よりいただきます。
老子第十一章は、車輪の話から始まります。
車軸を通す穴の周りにはハブがあり、30本の輻(や)が延びています。
輻(や)は、自転車でいえばスポークです。
スポークは、車輪の強度を高めます。
車輪の働きを果たすのは、中心にある穴だと老子はいう。
なんだかこじつけのようですが、この章の最後に今回の言葉が出てきます。
「何かがあることによって利益がもたらせるのは、何もないことが根底でその効用を遂げているからだ。」
この言葉は実に意味深い。
ひとはあるものを失ってはじめて、そのありがたみがわかります。
お金のありがたみは、一文無しになったとき、ひしひしと感じます。
愛もまた同じで、失ってみてはじめて優しい心に包まれていたことを知る。
自分の身体も、足が動かせなくなってはじめて、歩けるという幸せを感じる。
平和のありがたみも、戦争状態だったころの悲惨を味わっている者にとってはひとしおです。
現代においても、ウクライナや中東では戦争が続いています。
この戦争をひとごとに感じないことが、平和の意味を知る手立てになる。
従って、無いことはあることにとって大切な役割を果たしています。
あることを当たり前に考えているひとにとって、あることのありがたみはわかっていません。
無いことを味わってあることのありがたみを痛感する。
ガスも水道もネットもない自然の環境の中である期間暮らしてみる。
そうすると、あることの弊害もまた見えてくる。
スマホ中毒は、どれだけ世界を狭くしていることか。
そういった意味で、今回の言葉は無の意義を教える示唆に富む言葉でした。
有無相生