◆老子小話 VOL
1261(2025.01.25)
道譬諸若水。
溺者多飲之即死,渇者適飲之即生。
(韓非子、解老篇第二十)
道とは諸(これ)を譬うるに水の若し。
溺るる者多くこれを飲まば即ち死し、
渇する者適(ほど)よくこれを飲まば即ち生く。
今回の言葉は韓非子よりいただきます。
解老篇は、老子を解釈した篇です。
道は水のようだというところまで老子と同じです。。
確かに、溺れる人にとっては水を多く飲みすぎると死にます。
のどの渇いた人にとっては適量飲めば、命がつながります。
道はひとにとってプラスに働くこともマイナスに働くこともある。
韓非子は、道のこうした有りようを受け入れた上であるべき姿を選択しなさいという。
自然界は、弱肉強食の掟のもとで、他者に食べられないように自分のえさを見つけなければいけません。
しかも天候の変化で自分のえさすらも得ることが難しい場合もあります。
どの生き物も、こうした厳しい自然環境のもとで自分の生命をつなぎ、種の保存を行う使命が与えられます。
彼らが道を受け入れ、あるべき姿を選択していることがわかります。
人間も知こそ具えているものの所詮生き物です。
地上から食糧がなくなれば死に絶えます。
その意味で、人間も道に生死を託しているといえるでしょう。
韓非子は水を生命維持の素として捉えましたが、老子は水の性質と道を結び付けます。
水は柔軟性がありどんな器にも適応でき、どんな狭いところにも浸透してパワーを発揮します。
さらに水は高いところから低いところに流れて、目立たないところで生命を支えます。
道も普段目立たないところで万物を支えます。
というわけで、韓非子の解釈はわかりやすいですが、老子に比べるとどうも薄いような気がします。
有無相生