◆老子小話 VOL
1260(2025.01.18)
宇宙がなんであるかを知らぬ者は、
自分がどこにいるかを知らない。
宇宙がなんのために存在しているかを知らぬ者は、
自分がなんであるかを知らず、宇宙がなんであるかをも知らない。
(マルクス・アウレリウス、「自省録」)
今回の言葉は「自省録」よりいただきます。
前回は、戦争について語りました。
過去から繰り返している戦争は、地球規模で見ればごく狭い地域で起こっている事象です。
それが核兵器という道具を使えば、この惑星を消滅させる可能性も出てきました。
荘子に、「蝸牛角上の争い」の話が出てきます。
カタツムリの左の角と右の角が争うように、狭い場所で小さい者同士がどちらが強いかを競います。
そこに核兵器が加わると、カタツムリ自体がダメージを受けて、その部分である角も消滅するわけです。
アウレリウスは、目を遠くに向けよと言います。
地球は宇宙に浮かぶ塵の一つです。
宇宙の歴史の中で、人類が誕生したのは、つい最近のことです。
それも多くの幸運が重なり、地球上で生命をつなぐことができました。
今生きている自分は、その長い歴史の一員として、幸運のもと誕生できたわけです。
従って、自分の現在位置を知るには、宇宙の歴史をたどる必要があるとアウレリウスは言います。
ゴーギャンの有名な絵にも、「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」という題がつけられています。
その問いに答えるためには、宇宙の根源に目を向けなければいけない。
アウレリウスは、別の場所で、「死んだものは宇宙の外へ落ちはしない」という。
人間は宇宙から元素をもらい誕生し、死んで分解し宇宙に元素を返す。
我々は宇宙に生まれ、宇宙に帰る。
前述したとおり、幸運が生命をつないだが、戦争はその生命を自ら断ち切る行為である。
自分の生命だろうが、他者の生命であろうが。
我々がどこに行くかを決めるのは、宇宙が与える幸運と我々個人の選択にまかされます。
戦争している余裕はありません。
有無相生